「More Than This」——夜のやわらかさに耳を澄ます一杯
アーティスト紹介
Roxy Musicは、UKロックの中でもひときわ洗練された空気をまとったバンドです。1970年代のグラムやアートロックの華やかさをくぐり抜けながら、時代が80年代に入るころには、より上品で艶のあるサウンドへとたどり着きました。中心にいるのは、どこか気取っているのに不思議と人間くさいブライアン・フェリーの歌声。その声には、派手に感情をぶつけるのではなく、むしろ少し距離を置きながら心の奥をのぞかせるような魅力があります。
Roxy Musicの音は、古びた喫茶店の木の椅子や、少し傷のついたテーブルによく似合います。きらびやかなのに冷たすぎず、都会的なのにちゃんとぬくもりがある。レコードで聴くと、その質感がいっそう引き立って、音の輪郭がやわらかく空気に溶けていくんです。築50年以上のレトロな空間で流すと、まるで店の壁や窓辺まで少しだけ色気を帯びるような、そんな不思議な力を持ったバンドだと思います。
楽曲とアルバムの紹介
今回取り上げるのは、Roxy Musicが1982年に発表したアルバム『Avalon』に収録された「More Than This」です。80年代UKロックの中でも、この曲は派手さではなく“余白の美しさ”で心をつかむタイプの名曲。イントロのギターがすっと差し込んできた瞬間、空気が少し静かになるような感覚があります。シンセやリズムはとても滑らかなのに、どこか手の届かないものが漂っていて、そのバランスが実に見事です。
『Avalon』というアルバム自体が、夜の気配をとても丁寧に封じ込めた作品です。その中でも「More Than This」は、アルバムの入口としても象徴としても特別な一曲。タイトルだけ見ると大きな愛の歌にも思えますが、実際に耳を傾けてみると、満たされなさやすれ違い、あるいは“確かにそこにあったはずなのに、もう触れられないもの”への視線がにじんでいます。
僕にはこの曲が、何かをはっきり失った歌というより、「うまく言葉にならないまま残ってしまった感情」の歌に聴こえます。強く泣き崩れるわけでもなく、忘れたふりをするわけでもない。ただ、夜の静けさの中で、その感情の輪郭だけがぼんやり浮かび上がる。そんな繊細さが、この曲を何度でも聴きたくなるものにしている気がします。
なぜその曲がコーヒーとマッチするのか
「More Than This」がコーヒーに合うのは、この曲が“主張しすぎない深さ”を持っているからだと思います。ひと口目で強烈に驚かせるというより、飲み進めるほどに香りや甘み、ほのかな苦みがじわじわ広がる一杯に似ています。たとえば、少し温度が落ちてから花のような香りや丸みが見えてくるコーヒーがありますよね。この曲もまさにそんなタイプ。最初は静かで上品。でも、聴いているうちに心の奥をやさしく揺らしてきます。
個人的には、浅すぎず深すぎない中深煎りのスペシャルティコーヒーを合わせたくなります。甘さはあるけれど重たすぎず、口あたりはなめらかで、後味に少しだけビターな余韻が残るもの。「More Than This」のサウンドには、その“やわらかい苦み”がよく似合います。湯気の向こうにレコードの回転を眺めながら聴くと、曲の持つ淡い切なさが、コーヒーの香ばしさと自然につながっていくんです。
それにこの曲は、朝の目覚ましというより、閉店前の少し静かな時間に似合います。店内の明かりが落ち着いて、カップを置く音がいつもより小さく聞こえるような時間帯。そんなひとときに流れる「More Than This」は、誰かを励ますというより、「今日はこんな気分でもいいよね」とそっと隣に座ってくれる感じがします。
音楽にもコーヒーにも、言葉にしきれない余韻があります。「More Than This」は、その余韻をじっくり味わわせてくれる一曲です。派手ではないのに、気づけばずっと心に残っている。そんな一杯のような音楽を探している夜に、ぜひレコードで聴いてみてください。

