Dreams – Fleetwood Mac と朝の一杯が溶け合うとき
アーティスト紹介
今日の一曲は、イギリス生まれ・アメリカ育ちの不思議な経歴を持つロック・バンド、Fleetwood Mac。60年代末、ピーター・グリーン率いるブルース・バンドとしてスタートした彼らは、数々のメンバーチェンジを経て、70年代半ばにリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスが加入。一気に“ウェストコーストの風”をまとった柔らかいポップ・ロックへ舵を切ります。
当時の音楽シーンは、サイケデリックの熱もひと段落して、ソングライティングとハーモニーの美しさが重視される時代。スタジオ技術もぐっと洗練され、テープの温かさとミキシングの繊細さが共存する、いわゆる“70年代の音”が花開きました。Fleetwood Mac はそのど真ん中。ミック・フリートウッドのタイトなドラム、ジョン・マクヴィーの丸みのあるベース、クリスティン・マクヴィーの上品なキーボード、そこにリンジーのきめ細かなアレンジと、スティーヴィーの夢見心地な歌声が重なる。渋い深煎りの余韻に、華やかなアロマがふわっと乗る、そんなブレンドの妙を感じるバンドです。
彼らを語るうえで外せないのが、バンド内の人間関係というドラマ。恋の揺れや別れがそのまま曲に染み込み、苦さも甘さも音に宿っている。まるで、豆の産地や焙煎度が一杯のカップにそのまま表れるように、Fleetwood Mac の音には“生々しい生活”が香るのです。
取り上げる楽曲と収録アルバムの紹介
選んだのは、1977年リリースのアルバム『Rumours(邦題:噂)』に収録された “Dreams”。言わずと知れたバンドの代表曲で、唯一の全米1位を記録したシングルでもあります。スティーヴィー・ニックスが書いたこの曲は、シンプルな4つ打ちのドラムと、柔らかなベース、空気を含んだエレクトリック・ピアノの揺らぎが基盤。そこにスティーヴィーの少しかすれた声が、霧のように広がっていきます。
制作はカリフォルニアのスタジオ。スタジオの壁、モニターの前の空気、テープを巻くリールの回転音……そんなディテールまで想像したくなるほど、音像は開放的で、どこかうっとり。ドラムのハイハットはサラサラと一定のリズムで流れ、ベースは低く甘く、歌声はじんわりと耳の中心に届く。針を落とすと、最初の数秒にだけ聴こえる微かなチリチリ音とともに、70年代の“時間”まで一緒に流れ込んでくるようです。
“Thunder only happens when it’s raining”――あの有名な一節。雨と雷、そして夢。比喩でありながら、とても生活に寄り添った言葉です。『Rumours』というアルバム自体、苦い現実と甘美なメロディが混ざり合う一枚で、その対比がコーヒーの世界とも相性抜群。口当たりはやわらかいのに、飲み終えた後にふっと残る余韻が長い。そんなアルバムの中心に、“Dreams”は静かに、でも確かに光っています。
なぜその曲がコーヒーとマッチするのか。
“Dreams”は、豆を挽く音からお湯を注ぎ切るまでの時間に、ちょうどいい呼吸をくれる曲です。一定のビートは、ハンドドリップのリズムとシンクロしやすい。ケトルを持つ手が、つい曲のテンポに合わせて円を描く。湯面がぷっくりと膨らむ蒸らしの瞬間、スティーヴィーの声がふっと乗って、香りがカップの上で夢みたいに広がっていく。聴いていると、目の前の一杯に集中できるのに、心は少し遠くへ旅をしている――そんな不思議な時間をつくってくれます。
歌詞は別れの余韻を描きますが、湿っぽくはなりません。雨が降ると雷が鳴るように、出来事には因果がある。心の中の「手放す」作業を、さらりと肯定してくれるから、どこか背筋が伸びるんです。コーヒーでいえば、最初に立つほのかな酸が口内をリセットし、すぐに甘味とコクが追いかけてくる感覚に近い。エチオピアの浅煎りならジャスミンのような香りが、グァテマラの中煎りならカカオの余韻が、“Dreams”の透明感と静かなグルーヴをそっと支えてくれます。
当店でこの曲を朝一番にかける日は、挽き目をほんの少しだけ細かくして、抽出をゆっくりめにするのが僕の定番。細い湯で丁寧に“間”を作ると、ベースの丸みがより心地よく感じられるからです。カップから立ちのぼる湯気の向こうで、スティーヴィーの声がうすく揺れる。針先のかすかなサーフェスノイズは、焙煎所の奥で聞いた「パチッ」という豆のはぜる音の記憶につながって、なんだか胸が温かくなります。
もちろん、“Dreams”は夜の一杯にも似合います。仕事を終えて家に帰り、部屋の灯りを少し落とし、深煎りのコロンビアをゆっくりと。苦味の輪郭が落ち着いてきたところでサビが訪れると、今日あったざわめきがすっと静まるんです。別れの曲なのに、慰めるでもなく、励ますでもなく、ただ側にいて呼吸を整えてくれる。その距離感が、コーヒーの“ひとり時間”と絶妙に重なります。
雨の日はさらに最高。窓を叩く雨粒が、ミック・フリートウッドのハイハットと勝手にセッションを始めます。温度が少し下がったドリップ後半、カップの縁から立つ香りがシャープになって、曲の中の空間がよりクリアに。ソファに体を沈め、マグを両手で包み込みながら聴く“Dreams”は、レコードならではの厚みと相まって、時間をゆっくりと溶かしていきます。築50年以上の木の床がわずかに軋む音さえ、今日は音楽の一部。
仕事モードに切り替えたいときにも、実はこの曲は使えます。テンポは穏やかでも、リズムはブレません。浅煎りの明るい一杯と合わせれば、頭の中にちょうどいい“地ならし”ができる。キーボードのコードが一定に敷かれることで、思考が整理され、タイピングの音が四つ打ちにぴたりと乗ってくる。ガンガンにテンションを上げるのではなく、集中力の土台を整えるBGMとして、“Dreams”はとても優秀なのです。
そして何より、スティーヴィー・ニックスの声そのものがコーヒーの質感に似ていると思うのです。熱すぎない温度帯でふんわり広がり、少しかすれた部分に心地よい“テクスチャー”がある。ザラつきが嫌味にならないのは、バックがきめ細かく支えているから。ハンドドリップで言えば、紙のフィルターが余分な雑味を吸い、旨味だけを滑らかに落としてくれる、あの感じ。耳と舌に同時にやさしいのです。
レコード派の方には、ぜひアナログで。イントロの静けさと低域のふくらみは、デジタルよりも“空気”を感じやすい。針を落とす所作は、ケトルを持ち上げるのと同じくらい儀式的で、心が整います。もし家にプレーヤーがなければ、当店の隅の席でゆっくりと。木の香りとコーヒーの香りが混ざった空間で聴く“Dreams”は、いつもよりほんの少し甘く、そして少しだけ強く響くはず。
最後に、今日のおすすめペアリングを。朝の静かな時間なら、エチオピア・イルガチェフの浅〜中浅煎りを手挽きで。フローラルな香りが歌の余白に咲き、透明な酸が曲の余韻と重なります。雨の夕方なら、グァテマラやコロンビアの中深煎りを少し長めに抽出して、ビター・チョコのコクを。サビのたびに、静かに胸の奥が温まるのを感じるはずです。
“Dreams”は、派手な装飾もドラマチックな展開もないのに、なぜこんなに満ち足りるのだろう――そう思いながら、僕は今日もカウンターで湯を細く落とします。音楽とコーヒーの良いところは、どちらも“余白”が味わいになること。あなたの一日のどこかに、この余白がそっと入り込んで、やさしい時間を生みますように。どうぞ、ゆっくりと一杯を。


